東京大学院教授の本田由紀氏のツイートをめぐってネット上の議論が活発ですが、本田氏自身が発言内容を説明するツイートを行いました。
元の投稿の曖昧さを防御壁にして静観する構えかと思っていたので、このような「解説」を投稿したのは正直意外でした。内容については色々思うところがありましたが、特に注意を引いた点を書き残しておきます。
本田氏自身による説明
言葉の選択などについて色々な説明をしていますが、要は発端となったツイートは次のことを指しているということです。
- 「遺伝的要因の恐ろしさ」とは「自らと遺伝子を共有する血縁者を優遇しようとする麻生太郎氏の行為の問題点を指している」
- 「露出の増加が逆効果になるかもしれない」とは「三笠宮彬子女王やその妹の瑶子女王がマスメディアに露出するたびに、上記の麻生太郎氏のふるまいの問題点が想起され、視聴者は反発招くであろうと言うことを意味」
つまり、おそらくこう言うことなのでしょう。
- 彬子女王のメディア露出が増える
- 視聴者が彬子女王と麻生家との血縁関係を想起する
- 視聴者が麻生太郎氏の皇室制度への関与・「血縁者優遇」という問題を想起する
- 結果として、彬子女王の露出の増加は麻生氏に対する視聴者の反発を強める方向に働く
発端となったツイートはその真意が不明でしたが、ここまで補えば論理構造自体は理解でします。しかしこの論理を最初のツイートから読み取るのは困難でしょう。
読み取る者のルッキズムを露呈させているとの反論について
本田氏自身の言葉で「三笠宮彬子女王やその妹の瑶子女王がマスメディアに露出するたびに、上記の麻生太郎氏のふるまいの問題点が想起され」と説明している部分を、A. 「彬子女王のメディア露出が増える」とB.「視聴者が麻生太郎のふるまいの問題点を想起する」(A→B)にわけると、その間には当然に、C.「彬子女王を見た人が、その容貌等から麻生家との関係を想起する」という媒介項が必要です。(前項では2の部分)
本田氏は意図的なのか、意図的でないのかわかりませんが、この部分を明示していません。
しかし本田氏が引用したツイートは複数の人物の顔写真を並べています。その文脈上に、「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」という言葉を接続すれば、読者が「顔が似ている」 「遺伝によって身体的特徴が共有されている」という主張が含意されていると考えるのは極めて自然です。
むしろ、本田氏の釈明した論理を成立させるためにも、血縁関係が「見た目」によって想起されるという認識が必要になります。
なぜなら、本田氏自身の説明する因果関係、「彬子女王を見る」→ 「麻生氏を想起する」を成立させるためには、何らかの視覚的・社会的な手がかりが必要だからです。
もちろん、「彬子女王=麻生太郎の姪」という既知の知識だけでも想起は可能です。
しかし、一般の人が彬子女王を知る経路としては、「麻生太郎の姪」というより、「『赤と青のガウン』を書いた人」「オックスフォードに留学して博士号を取った皇族」「オールナイトニッポンに出た皇族」という人物像の方がはるかに重要でしょう。メディア露出が増加することによって形成された彬子女王の個人イメージは、麻生家の政治的イメージから相対的に切り離されている可能性があります。
しかも、元ツイートが顔写真を並べていることを考えると、「遺伝的要因」という言葉と写真の組み合わせからそれが身体的な血縁類似を指しているのだと読み取るのはごく自然です。
したがって、自身にはその意図がなく、逆に「読み取る者自身が有するルッキズムを露呈させている」という反論は極めて弱いと言わざるを得ません。
「麻生氏の縁故主義」という前提は正しいのか
本田氏の釈明は、「麻生氏は自分の血縁者に有利になるよう皇室制度を変更しようとしている」、という前提に立っています。これは発端となったツイートで引用された「りょう」氏のツイートに明示されているものです。*1
しかし、「麻生氏が皇室制度改革に関与している」ことと、「その目的が血縁者への利益供与である」ことは別の命題です。
りょう氏は「彬子女王への皇族費増額は麻生家による縁故的利益供与」であると批判し、麻生家による天皇家乗っ取りという非常に強い政治的・血統的な物語を構築しています。
ここには次の推論があると思われます。
- 麻生氏は皇室制度改革に関与している
- 彬子女王は麻生氏の血縁者である
- 制度改革によって彬子女王の皇族費が増える
- よって麻生氏は血縁者を優遇している
しかし、3→4は明らかな論理の飛躍です。
なぜなら、男女の皇族費を同額にすること自体は、現代の日本社会におけるジェンダー平等の規範からすれば、むしろ自然な方向だからです。「男性皇族だから多く、女性皇族だから少ない」という制度を維持する方が、現代の感覚からすれば説明困難でしょう。
つまり、りょう氏も本田氏も、制度変更のジェンダー平等という説明可能性を丸ごと飛ばして、縁故主義という説明を採用しているわけです。これは極めて強い政治的バイアスのかかった解釈です。
皇族費増額を「さもしい」、あるいは皇族費が多すぎると批判するのであれば、皇族費の妥当性や算定根拠、女性皇族だけでなく制度全体でどう設計すべきかという議論へ進むのが真っ当な方向性であると自分は思いますし、麻生氏の縁故主義によって今回の皇室典範改正が行われたかどうかは皇族費の増額からは推論できず、別途検証されるべきものでしょう。
麻生氏は親族が皇族関係者であるので、政治倫理・公正性の観点からの「利害関係者による制度設計への関与」という面で、皇室制度改革に関与すべきではなかったという批判ならば理解できます。自分もそう思います。
さらにこれは国会ではなく「皇室会議」についてですが、皇室典範36条には、「議員は、自分の利害に特別の関係のある議事には、参与することができない。」と明文で規定されているということもあります。
e-Gov 法令検索
しかし繰り返しになりますが、麻生氏が具体的に制度を歪めたかどうかは別の話です。その論証を十分に行わないまま、麻生氏が個人あるいは一族の利益を念頭に国の制度設計を歪めたかの如く言うのは誹謗中傷と言われても反論できないでしょう。
「血統」という社会制度上の概念を、生物学的な「血・遺伝・DNA」と混同すること
自分自身は、旧宮家から養子を迎える案には反対ですが、旧宮家系の男系男子を養子に迎える案の正統性は、「36~38親等離れた人に現皇族とのDNA上の近さが残っているから」という話ではなく、「皇統に属する旧宮家の男系子孫として、公的な系譜・皇族制度上の連続性が確認できる」という制度・系譜上の論理として理解した方が正確であるとの認識です。
これは現在の皇室についても「血統」は生物学的事実そのものではなく、法制度によって定義・認定された系譜関係としてその正統性を保証すると考えるのと同じです。
生物学的事実
と、
制度上の事実
は別のものです。後者は前者を基礎としている部分がありますが、前者だけから自動的に後者が導かれるわけではありません。
極端な例ですが、仮に天皇の「ご落胤」がどこかに見つかったとします。(あくまで譬え話なので今上天皇を誹謗中傷しているとか言わないでくださいよ)DNA鑑定で「実はこの人物は天皇の実子だった」と判明したとしても、それだけで直ちにその人が皇族になったり、皇位継承資格を取得したりするわけではありません。皇室制度上の認定・法的手続きが必要です。
逆に、皇族についても、個々の構成員が毎回DNA鑑定を受けて「皇統上の血が確認された」から皇族なのではありません。
2000年近く遡れば、一般的な遺伝学の意味では、特定の祖先から受け継いだDNAが現在の個人にどれだけ残っているかは極めて不確実です。理論上は、特定の祖先からゲノム上のDNAをまったく受け継いでいないこともあり得ます。*2
つまり、「血統」「血縁」「血筋」というのは社会制度の話です。しかし、興味深いのは実際の議論では右派・左派を問わず、しばしばそれが「遺伝子」「DNA」という生物学的な言葉に置き換えられてしまうことです。
つまり、「血筋」を政治的・社会的な関係として語る際に、それを生物学的な「遺伝」に置き換える癖が、日本の皇室論・皇位継承論には左右双方にかなり広く存在するということです。
ここには、「血統」という社会制度上の概念を、生物学的な「血・遺伝・DNA」と混同するという、かなり根深い認知的傾向があるように思います。
「男系」の支持者がその正統性を主張するとき、Y染色体の継承の一貫性という意味まで持ち込むと、それは制度論とはかなり別の話になります。
そして反対側が、「そんな遠い親戚とのDNAの継承は不確実である」と応じても、実は同じ土俵に乗ってしまっています。
そしてこれは、本田氏の今回の発言を考えるうえでも面白いところです。
本田氏は「遺伝的要因」を「血縁」の意味で使ったと説明しましたが、「血縁」を「遺伝」という語で表現すること自体が、政治的・社会的な関係を生物学的関係と混同するものであり、皇室・皇統というテーマでは特に強い含意を帯びてしまう。
だからこそ、今回の「遺伝的要因」という言葉は、単なる「言葉選びの問題」以上に、読者に生物学的な意味を想起させやすかったのではないかと思います。